やがて戦乱の世も終わり、徳川家康(1543-1616)が全国を統一、江戸時代を迎えます。士農工商の身分制度の頂点に立つ武士も当初は威勢が良かったものの、やがて俸禄である米を換金して暮らしの費えにするようになっていきます。こうしたお米が市中に出回りますが、豊作・凶作を繰り返していたために米価が安定せず、百文で一升のお米が買える時もあれば、わずか三合しか買えないこともありました。この時代、庶民は玄米食が基本、白米は高級品で裕福な一部の階級のものでした。人口が爆発的に増え、巨大都市となった江戸では経済的な発展に伴い、元禄年間(1688-1703)になると庶民でも1日2食だったものが3食へとかわり、1716年(享保元年)、将軍職に就いた八代吉宗が行った米価の安定に関する改革などにより、徐々にではありますが庶民も白米を食べるようになっていきます(白米が常食となるのは時代を下った明治期のことです)。また、吉宗は奢侈禁止・質素倹約を推し進める一方で、庶民の花見を公認、それまであった上野山に加え御殿山や飛鳥山、隅田川の堤などに桜を植樹して新たな遊覧地として開放します。やがてお花見は、風情ある本来の意味を離れ、「花より団子」・・・呑んだり食べたり踊ったりの今に繋がるスタイルへと変わっていきました。この時代には、既に「行楽」という言葉があったとされています。名所が刷られた錦絵をガイドブックにして、夏の川遊び、秋のお月見や虫聴き、また近隣の景勝地である江ノ島や鎌倉、成田山などへもおむすび持参で出掛けました。

  芝居見物にもやはりおむすびでした。悪所と言われながらも興隆を極めていた芝居小屋の弁当について、喜田川守貞による風俗百科事典『近世風俗志=守貞謾稿(全35巻)』の「後集巻之一(食類)」(参考B)に書かれています。

中飯、江戸は幕の内と号(なづ)けて、円扁平の握り飯十顆をにわづかにこれに焼くなり。これに添ふるに焼鶏卵・蒲鉾・こんにゃく・焼豆腐・干瓢、以上これを六寸重箱に納れ、人数に応じ、観席に持ち運ぶを従来の例とす。
――芝居小屋はひと枡に4〜7人は座れたそうですから、都合の良い量だったようです。芝居茶屋から派遣された「出方」と呼ばれる給仕係の男衆によって、枡席まで運ばれました。
 また、同書にはおむすびの入った幕の内弁当が、病気見舞いに利用されていたとも書かれています。

▲飛鳥山北側にひらけた眺望、花見客が訪れています。歌川広重の錦絵(ブルックリン美術館・蔵)


 子供ながら飯炊き名人となった主人公つばきが大人たちに交じって活躍する山本一力(1948〜)の時代小説『だいこん』には、こんな場面が登場します。

橋を渡ったさきの火の見番小屋に、おにぎりを百個届けるからさ。つばきちゃん、頼んだよ。〜(中略)〜五升の米が、九ツ(正午)には炊き上がった。あとは握り飯づくりである。瓶から取り出した梅干のタネを、こども三人が取り除いた。実だけになった梅干を、女房連中が手際よく握る。(参考C)

――これは江戸三大大火のひとつ、1772年(明和9年)に起きた明和(目黒行人坂)の大火の際の炊き出しが舞台となっています。災害の後片付けに奔走する町火消や人足たちに大好評、炊き立ての香り高いおむすびが登場する『だいこん』ですが、これはあくまで小説の上での話、実際に幕府がお救い米として供出したお米のほとんどは「粥」として、罹災者たちに振る舞われていた(右図)そうです。(参考D)




1657年(明暦3年)の江戸の大火(=振袖火事)の際の炊き出し風景。大釜で作られた粥が振る舞われています。浅井了意著 仮名草子「むさしあぶみ」部分
(東京都立中央図書館東京誌料文庫・蔵)


▲東海道五十三次細見図会 [藤沢] 歌川広重
右が六部と呼ばれた法華経の行脚僧、中央は糧袋を首から提げた修行者、左で眠っているのは金毘羅詣り。手前でおむすびを食べるのは巡礼の人々か。

 ご存知のように江戸時代初期には五街道(東海道・中山道・日光道・奥州道・甲州道)や宿場町が整備されました。当初利用していたのは参勤交代義務を課された武士や関西商人、修行者などでしたが、元禄期になると「講」と呼ばれる信仰・参詣の旅や、病気療養のための湯治の旅などで庶民も利用するようになりました。街道を多くの人々が行き交うようになったとはいえ、庶民にとって、その旅行費用は相当高額であったようです。

大家さんや町年寄りの手を煩わせる面倒な手続きを経てようやく叶うお伊勢参りなどは、一生に一度という貴重な体験でした。路銀を切り詰めながら泊まった途中の旅籠や茶屋で中食用にと仕立ててもらい、腰弁当・道中弁当としておむすびは活躍しました。

左の錦絵は初代歌川広重(1797−1858)による「東海道五十三次細見図会」の一枚、「藤沢」の図です。旅人が楽しそうにおむすびを食べています。形は三角形、白米にゴマがまぶされているのか、雑穀のおむすびなのかまでは残念ながら分かりません。



1  2  3  4  5  6  7  8


【東日本大震災元気玉プロジェクト&おむすび礼賛 後編へ】

探〜探究探訪〜TOPへ