1938年(昭和13年)2月、42歳になったマージョリーは三冊目の単行本『The YEARLING(子鹿物語)』を出版。これが批評家たちの絶賛を浴びて大ベストセラーとなり、子供の頃から小説家として認められることを夢見ていた彼女に大きな栄光をもたらしました。2ヶ月後にはハリウッドのMGM社が映画化権を獲得、翌年のピューリッツァ賞(フィクション部門)を受賞、フロリダのロリンズ大学(Rollins College)から文学博士号を授与され、彼女の作家としての地位が確立されたのです。発売後2週間で10万部を売り上げ、93週間ベストセラーのトップを走り続けました。多くの言語に翻訳され世界中で親しまれる作品となり、イギリスの有力書評誌では「百万人に読まれ愛される書」として熱狂的な歓迎を受けました。原書名の『The YEARLING=ザ・イヤリング』は、生まれてから一年経った動物(一年仔)を指し、子鹿(fawn)と大人の鹿(deer)の間をも意味します。

 日本では早くも翌年の1939年(昭和14年)に、日本の翻訳専門家の草分け的存在である大久保康雄(1905〜1987)の翻訳本が三笠書房より刊行されています。出版当初のタイトルは『イヤリング(一歳仔)』という原書名を採用。その後、主に学習教材や児童書・絵本として『子鹿物語(=仔鹿物語)』とタイトルを変えて数々の出版社より翻訳・抄訳が刊行されています。中でも1951年(昭和26年)、新潮社が戦後もっとも早い時期に出版した絵本叢書に収録された際(吉田甲子太郎訳)には、洋画家・小磯良平(1903〜1988)が挿絵を担当するという贅沢な企画も登場しました。今回の取材では上記いずれの日本語版も実物を見ることが叶いませんでした。『子鹿物語』は、時を経て1983年(昭和58年)に小学校上級生から読める【完訳決定版】として大久保康雄が全面的に訳し直した全3巻が偕成社文庫として刊行されています。今号の【探〜tan〜】では昨年(2008年)、出版された『鹿と少年(全2巻)』(光文社古典新訳文庫)を引用文として使用させて頂きました。ベストセラー『Wild Swangs(ワイルド・スワン)/ユン・チアン(Jung Chang)著』などの名訳で知られる土屋京子による新たな完全翻訳です。


  
『子鹿物語』の舞台は出版された1938年より60〜70年ほど昔、南北戦争(1861〜1865)が終わって間もないフロリダ州奥地。
スクラブ(scrub=矮性樹)と呼ばれる密林に囲まれた土地に開拓民として暮らすバクスター一家(父ペニーと母のオリーと12歳のジョディ)が主人公。限られた耕作地と僅かな家畜。自前の井戸さえ掘れない貧しい暮らし。ピューリタン精神を地でいく実直で働き者の優しい父親と、ジョディが生まれる以前に何度も子供を亡くした失意から子に注ぐ愛情が枯れてしまった冷たく厳しい母親。野生のオオカミや熊の脅威にさらされ、自然の猛威に立ちつくし、先住開拓民や町の人々との交流や軋轢といった彼らの一年間を淡々と綴っていきます。そんな中で一家の労働力として健気に働く孤独な少年ジョディと子鹿が出会います。大自然の荘厳さや美しさに加え、その荒々しさや残酷さ、数え切れないほど多くの種類が登場する花や植物や動物たちのリアルな描写も冴えています。

この作品には、われわれ人間にはなにか不可思議な力に左右されて、この地上で魂をなくしたまま生きる存在なのだという、一種の不可知論がひそんでいるようにみえる。そのようにみえるのは、この作品が実際の人の世をありのままに写しとっているからだろう。だからこそ、作者はジョディを荒野の中に突きはなし、彼に子鹿の死を受けいれさせ、家族を支える勇気と団結にめざめさせねばならなかったのである。(定松正著『英米児童文学の系譜』より)






 この物語の主題は12歳の少年ジョディが大人へと成長する過程であり、世界中で[児童書]として愛され続けている理由もそこにあるのでしょう。大地に生き、自然と対峙しながら生きていくには経験から学んでいくしかないのだとジョディの父親ペニーは教えてくれます。12歳という年齢は洋の東西を問わず、否応なしに厳しい大人への通過儀礼にさらされる運命なのかも知れません。スティーブン・キング(Stephen Edwin King)原作の映画『スタンド・バイ・ミー』で冒険の旅へ出る少年たちも12歳、宮沢賢治も童話『雪渡り』の中で大人と子供の境界を12歳においています。また、『子鹿物語』では、家族愛や親子愛も重要なテーマとなっていますが、刊行された(1938年)当時の時代背景を思うと、この小説が発売と同時にアメリカ社会に広く歓迎されたのはただそれだけではなかったようです。


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