公益財団法人花と緑の農芸財団

第20回の旬の噺、今号は『茶の湯』。根岸の里(現・台東区根岸)は江戸時代、ウグイス初啼きの名所であり、自然の趣き豊かな地として多くの風流人が別荘を建てて住んでいたそうです。

家督を息子に譲った大店の隠居が、根岸の里の隠居所で小僧の定吉と暮らし始めますが、毎日退屈で仕方がない。そこで何か趣味を始めようと思い立ったのが「茶の湯」。幸い隠居所には茶室も道具も揃っている。しかし元来金儲けばかりで風流とは縁遠い隠居は、以前茶会に招かれた時のうろ覚えの知識だけで我流の「茶の湯」を始めます。

茶杓を「耳かきの親玉」、茶筅を「茶箒」、袱紗を「贅沢な雑巾」と呼び、まずは「あの黄緑色の粉(抹茶)を買って来なさい」と定吉に言いつけます。乾物屋へ走った定吉は、青黄粉を買って戻ります。「そうそう、これこれ」と、粉を茶碗に入れ茶筅でグルグルかき回してみますが、何か違う…「もっと泡だっていたはずだ」と言うと、今度は定吉が椋の皮を買って来ます。試してみると見事に泡立つ。見た目に満足してふたりで飲みますがたちまち腹を下してしまいます。それでも我慢しながら日々「茶の湯」を嗜むうちに、客を招いて持てなしたくなり、自分が大家(地主)をしている長屋の3人の借家人に声をかけます。誰も「茶の湯」の作法を知らないので困り果てた3人は夜逃げまで企てますが、結局機嫌を損ねて立ち退きを申し渡されては敵わないので渋々やって来ます。緊張しながら出された茶碗の中の液体を飲んでみると…。この世の物とは思えない代物にもがき、苦しみ悶絶寸前。脂汗を流しながら、なんとか飲み終わった振りをして誤魔化し、出された羊羹を食べ這々の体で帰ります。

滅茶苦茶な「茶の湯」の被害者は近隣の人々にまで広がりますが、「茶は不味いが羊羹は美味い」と評判になり、中には懐へ入れて持ち帰る者まで現れます。これでは菓子代ばかりが嵩んでしまうので、菓子も自作しようと試みます。しかし、これもまた酷い代物。定吉とあれこれ試して出来上がった不細工な菓子擬きに「利休饅頭」という名前まで付けて供するものだから、客人はとうとう誰も寄りつかなくなりました。

ある日、そんな噂を知らない古くからの商人仲間が訪ねてきたので、隠居は大張り切り。いつもより多めに青黄粉や椋の皮を入れ、ブクブクに泡立った茶と一緒に例の利休饅頭で持てなします。酷い茶を飲まされた上に、饅頭をひと口頬張ってみますがとても飲み込めず袂の中へ吐き出し、慌てて便所へ駆け込みます。それを便所の窓からポイッと投げ捨てると、隣の畑のお百姓さんの顔にベチャッ。顔に饅頭を当てられたお百姓さん…別段怒る風でもなく「あぁ、今日もまた茶の湯かぁ〜」。

半可通のご隠居と定吉が考案した飲み物には、青黄粉(青大豆を原料にした黄粉、うぐいす饅頭などの原料)と、椋の皮が使用されていました。これはムクロジ(無患子)という木に生る実の果皮の事で、界面活性作用のあるサポニンという成分が含まれていてよく泡立ち、昔はシャボン(石鹸)の代わりに利用されていました。また、ムクロジの果皮を剥いだ黒い実は古くから「羽根突き」用の羽根の材料として有名です。本来「羽根突き」という遊びは厄払い的な要素が強く、ムクロジに充てられた漢字には「子が患うことの無いように」という親の願いが込められているそうです。


▲楊洲周延・画「千代田之大奥 追ひ羽根」より
(国立国会図書館蔵)