@海宝文雄先生
A山田光夫氏
B吉川百合香さん
C江口憲一さん・俊子さんご夫妻
D高林昭二さん・矢口一弥さん
E實川智徳さん・澄江さんご夫妻
F石戸謙一さん
G椿 高幸さん
H山本悦丸さん・熙さんご夫妻
I椎名 誠さん
J土屋勝利さん・秀野さんご夫妻
K戸井康雄さん
L高橋照典さん
M平沢信夫さん
N須田 彰さん
O吉川 伸さん
1931年2月1日生。75歳。千葉県匝瑳市在住。県内で長く教職を 歴任し、退職後はネパールの子ども達に書道道具を寄付するための海外ボランティアや、耳の不自由な方々の為の音声ボランティアなど日本赤十字の活動を行っていらっしゃいます。また、歌人や書家としても活躍、多くのお弟子さんを指導、歌集や歌人・蕨真の研究書なども出版されています。そんな多忙な中、花と緑と農芸の里へ毎月2〜4回来里、バラ苑の除草作業などの労働奉仕をして下さっています。真夏の炎天下の中、冬の寒風吹く中、黙々と作業を行う姿には頭が下がる思いです。小学校長の頃に子供の情操教育の一環として行っていた米作りや農作業の知識も豊富で、我々に多くの教示を与えて下さいます。故土井脩司前理事長の残した言葉を聞いて、歌を詠んで下さいました。
 「奉仕することは 歓喜と残したり 花と緑と農芸の里 」

1952年6月13日生。54歳。千葉県市川市在住。フリーのグリーンコーディネーターとして「よみうり文化センター」などで東京や千葉を中心に、「園芸教室」を開催、毎週多くの生徒さんを教えていらっしゃいます。「花と緑と農芸の里」へは毎月来里され、バラ苑の管理や植栽計画についてのアドヴァイスを頂いています。また毎年1月〜2月、冬の最も寒い時期に、生徒さんを多数お連れになって、約1千本のバラの剪定などの実地研修を行って下さるなど、いまや「花と緑と農芸の里」にとって、頼りになる力強い存在となっています。本当にいつも有り難うございます。いつも笑顔の山田さん、今後とも宜しくご指導下さい。(ちなみに山田氏の実弟は、日本テレビの人気番組「笑点」でおなじみの山田隆夫さんです)


1935年10月23日生。財団の初期メンバーの良き姉御。財団設立当初から、農芸塾生に機(はた)織りの指導をお願いしています。従ってお付き合いは20年になります。毎年夏の子ども達を対象にした「花びら染め教室」では、暑い中ご活躍頂いています。先生は女子美術大学芸術学部工芸科を卒業後、会社勤めをしながら機織り作品を制作、展覧会等に出品を続け、1975年に独立、工房を構えました。先生曰く「私の機織りの原点は、洋裁の得意だった母の影響と群馬県北軽井沢の自然の中での疎開体験」。主な作品として、山梨市民会館小ホール「タピストリー・千鳥」、明治乳業ヘルスサイエンス研究所食堂「タピストリー・陽」等。千疋屋ギャラリーでの個展、鎌倉明王院でのジョイント展の他、多くの生徒さんと毎年、工房展も開催しています。社交的で、愉しい会話と音楽を愛し、今もサッカーJリーグの選手や宝塚歌劇団の男役に熱狂しています。ますます若々しく明快!手織り教室では、機織りの技と心を後進に伝え続けていらっしゃいます。
【百合香工房】 〒270-1342 千葉県印西市高花4-3-4-103 TEL.0476-46-5861
 


千葉県山武市で農業を営む江口憲一さん(1947年6月9日生)と俊子さん(1942年3月28日生)ご夫妻。昨年、NHK「飛び出せ定年」で紹介され、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
 
シネマトグラファー(撮影監督)として、東宝ゴジラシリーズなどを手掛けていたご主人が、農業を志し日本農業実践学園(茨城県)へ就学されたのは55歳の時。その後、土地探しで訪れた千葉県農業会議所で紹介を受けた営農の師匠にあたる山武市「たがやす農場」の斉藤完一さんのもとで約2年間の研修後独立。様々な試行錯誤を経て、現在では二人の明るいお人柄が反映された元気で美味しい無農薬有機野菜にファンが増え続けています。東京の料理屋さんや個人宅への出荷に追われる毎日です。奥様は、絵師として身近な花木や素朴な風景を題材に作品をスケッチされています。お二人共に、花と緑と農芸の里のボランティア・スタッフとして多彩な活躍を頂いている他に、「里山御膳」などに使用する新鮮な旬の野菜をご提供くださっています。
【江口さん宅】 〒289-1226 千葉県山武市横田688-107
TEL&FAX. 0475-80-9668


「花と緑と農芸の里」の地元・芝山町の元気なご長老ふたりをご紹介します。

「山中花の会」の皆さんと共に、田植えや稲刈り、餅つきなどの際に毎年、心強い手助けをいただいています。和い処の土間にある竈(かまど)も、お二人の手によるものです。1927年1月21日生まれの高林さん(鉄工業)、1933年12月22日生まれの矢口さん(左官業)は、共に家業を息子さんに託しての隠居の身ですが、現在も、子供やたくさんの孫達のための米や野菜作り、村の行事に汗を流す毎日です。私たち、花の里スタッフが学んでいるのは、お二人の年齢を感じさせないパワーはもちろん、生活に根ざした経験と知恵です。農業の事、山菜の事、竈での飯炊き、稲のハザ掛け、ワラの束ね方、縄ない……覚えの悪い私たちに、苦笑いをしながらも根気よくお付き合いくださいます。
これからもいつまでも元気に私たちを指導してください。
いつも本当にありがとうございます。
(写真左:高林昭二さん・写真右:矢口一弥さん)

千葉県山武郡横芝光町の[横芝まさご幼稚園]園長・實川澄江さん(1946年10月22日生)とご主人の智徳さん(1943年3年30日)。お二人は、地元で気の合った者同士で作った登山サークル「富士の会」の皆さん14名と、10年前から栗山川の堤防に花を植え始めました。きっかけは自宅建て替えの際に庭にあった植物を移植したこと。当初は篠竹や葦がはびこり、人も寄りつかない堤であったといいます。草を刈り、放置された粗大ゴミを処分し、整地し、土を運び入れ、花を増やして桜の苗木も植えました。挿し木や株分けや種をとって植え続けた花々で、今では約2kmにわたるフラワーロードができました。「とにかく愉しんでやっています」と笑顔で話すお二人。川がきれいになり、季節ごとに花が咲き始めると、多くの人々が散歩をするようになり、釣り人が増え、鳥が遊び、ゴミの不法投棄も少なくなったそうです。「本当に花が好きなの。良い事ばっかりなの」…花の心を持った幸せそうなお二人です。

1949年千葉県出身。石戸珠算学園学園長。全国珠算連盟理事長。千葉県そろばんを楽しむ会代表。グァテマラ・マヤ文化協会理事。1973年、千葉県白井市に石戸珠算学園を設立。そろばん教育の改革に取り組み2000年に「インターネットそろばん学校」を開校し、2002年には珠算業界初の経営革新支援法の認定を受ける。
現在、石戸珠算学園は千葉県・茨城県に直営教室26、生徒数約2000名を数える。そのノウハウを提供したグループ教室を全国に展開中。
また学園出身者のグァテマラでのそろばん学習による地域振興を積極的に支援し、石戸式そろばん学習を世界の子供たちに提供していくのが今後の夢と語る59歳。
石戸珠算学園のHP=http://www.soroban.co.jp/

1962年8月25日福岡県北九州市生まれ、笑顔が優しいガーデニング・園芸療法の専門家です。
宮崎大学農学部卒業後、ゴルフ場のガーデンキーパーや八ヶ岳の農場の農場長として花苗生産・植栽計画・予算管理・営業を務めるなど花と緑ひとすじの人生です。かつて市川市にお住まいだった頃、「行徳いきいき花の会」に参加されたことから(財)花と緑の農芸財団とお付き合いが始まり、園芸教室講師を依頼するなどのご縁が続いています。
椿さんは「花や緑を通して心豊かな暮らしを」をテーマに昨年、園芸コンサルタントとして独立されました。
園芸セミナーを開催したり、デイケア施設での園芸プログラム作成などを行う他、現在お住まいの三鷹市のNPOに参加して環境調査や学校安全推進委員、キャリア教育の講師としてご活躍中です。今年の夏休みに[花の里]で行った花びら染め体験では、吉田百合香先生のアシスタントを快くお引き受け下さいました。
とても暑かったいち日、本当にご苦労さまでした。

成田市天神峰にある千葉県花植木センター(本誌17〜18頁 FLOWER ESSAY『蕗の薹』参照)内の地域農業相談センター長に山本悦丸さん(1941年1月2日生まれ)が赴任された1981年から、私たちとのお付き合いが始まりました。当財団設立(1986年)以前のことです。
若い頃にはオートバイを乗りまわすなど活動的な悦丸さん。県職員時代には弓道部に所属、二段の腕前です。現在はゴルフ、野菜作りなどの他、昨年参加された[和い処]のそば打ち教室以降、「芝山手打ちそばの会」へも参加されています。
悦丸さんと同じく県職員だった奥様の熙さん(1944年5月11日生まれ)も多方面でご活躍です。草木染めにはじまり機織り、陶器コレクション、油絵や展覧会巡りと多忙な日々。
2005年には自宅の納屋を改造して工房「住蒼(すみよし)のさと」を開設し、仲間たちと藍の栽培から手掛ける本格的な染めと織りを楽んでいらっしゃいます。また、設立当初からの財団風会員として様々な農芸セミナーへもご夫妻で参加して下さっています。 ギャラリー喜三郎

運動の森自然公園/成田エアポートコース代表  1946年4月29日千葉県多古町生まれ。
33年前のこと。大学卒業後、会社員をしていたものの、生来の自然好き花好きに加え、子供の笑顔が大好きだった椎名誠さんは、妻・敏江さんとの結婚を機に脱サラし、地域の特性をいかした新しいレジャー施設のオープンを決意しました。当時はフィールドアスレチックそのものがまだ珍しかった時代、試行錯誤をしながら設備を整えていきました。雨の日は営業活動に駆け回り、晴れの日は園内の整備や花植え作業の日々。
そんな時に、園内を花でいっぱいにしたいと考えた椎名さんの訪れた先が、私たちの花の生産農場(千葉県花植木センター内)でした。
爾来親しいお付き合いが始まり、財団発足時から風会員として支援を頂戴しています。
オープン当時は、インベーダーゲームなどが流行し、野外で遊ぶ子供が少なくなり始めた頃。椎名さんはそんな子供たちを自然の中で思いっきり遊ばせたいと考えたそうです。
33年を経て、「最近の子供はすぐに転ぶ。また転んでも手をついてカバーすることができない」と体力や反射神経の低下を憂慮されています。 運動の森自然公園/成田エアポートコース

造園業[植勝]
[花と緑と農芸の里]のあちらこちらに植栽された数多の「ヤマモミジ」、そしてシンボルツリーとなっている「ケヤキ」、[和い処]の駕籠寄せ玄関前にある「カワヅザクラ」、その他「シダレザクラ」「トサミズキ」、そしてこの春仲間に加わった「ナツツバキ」…実はこれらすべての樹木(花木)を寄贈・植栽して下さっているのは造園業「植勝」さんを営む土屋さんご夫妻なのです。
1944年(昭和19年)1月30日生まれの土屋勝利さん、1948年(昭和23年)10月14日生まれの秀野さんご夫妻は、共に野栄町(現・千葉県匝瑳市)のご出身。10年近く前に当財団の研修生だった佐々木君が、山モミジを求めに立ち寄ったことからお付き合いが始まりました。その後、お忙しい時間を割いては前記の樹木を次々と植えて下さっています。有り難うございます。「植勝」さんの事務所・庭木畑は「さんぶの森公園」の近く、「山武中学校」前にあり、季節毎に美しい彩りを見せる庭木が、その出番を待ち、植えられています。
「一木一石、こころに癒しを!」…庭作りの匠として勝利さんのモットーは、「日本庭園は環境保全・心の癒し・日本文化の継承という三つの大切な役割を持っている」というもの。「花や緑を愛でる心の欠如が、最近の悲惨な事件の頻発につながっている気がしてならない、自然の大切さをもっともっと認識し心豊かな社会であるよう、微力ながらもできる限りこの仕事を続けていきたい」と熱く語って下さいました。勝利さんの傍らで、深くうなずきながら話を聞いておられた秀野さんの素敵な笑顔も印象的でした。「植勝」さんのホームページでは季節毎にお薦めの庭木を画像付きで紹介したり、庭木の扱い方法や施肥などについてのアドバイスも書かれた「お店便り」というブログや施工例などを見ることができます。  
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[植勝]TEL&FAX 0475-89-3715
〒289-1223 千葉県山武市埴谷2127-1
e-mail:info@uekatsu.com  http://www.uekatsu.com/

しばやま花いっぱい運動推進委員会委員長
  芝山町内や芝山はにわ道(成田松尾バイパス線)沿いのあちらこちらに設置された花壇に咲く季節毎の花々。私たち[花と緑の農芸財団]もお手伝いをさせて頂いている2005年(平成17年)から始まった『しばやま花いっぱい運動』に、ある日、屈強な強面の男が参加してきました。
それまで花にはまったく関心の無かったひとりの男=戸井康雄さんです。友人の誘いで活動を始めた戸井さんは、「やるからには町じゅうを花で埋め尽くそう」と植え替えや水やり・管理作業に率先して参加して、一昨年からは「しばやま花いっぱい運動推進委員会」の委員長に就かれました。花に魅せられた戸井さん――今では自宅の庭にも、種から育てた四季折々の花がたくさん咲いているそうです。
 戸井さんは1957年(昭和32年)2月24日芝山生まれの53歳。大学卒業後、六本木のケーキ店「クローバー」に新卒採用1期生として入社。その後、調剤薬局や飲食店などを経営していましたが、実家の家業である「戸井工業」を手伝うために芝山町へ帰ってきました。
 2002年(平成14年)秋の芝山鉄道開通に伴い始まった、駅前の物産市「金曜元気市」の立ち上げに参加したのを機に「花祭り本舗」を開業しました。「花祭り本舗」は房総地域の伝統食である「花寿司」を普及させるために実演を旨とした販売方法で幅広い人気を誇っています。
 その持ち前の明るさと行動力で花いっぱい運動を牽引している戸井さんには町民からの信望も厚く、現在は芝山町商工会第7代会長や芝山町フィルムコミッション理事長、バイオランド芝山理事長などの要職に就き、町の活性化の為に東奔西走の日々です。
 『一期一会』を座右の銘とする戸井さん、趣味は大学時代に全日本コンクールに出場したこともあるトロンボーンの演奏だそうです。

[花祭り本舗]の花寿司は成田山新勝寺の参道店舗での販売が有名ですが、全国各地で行われるお祭りやイベント、デパートの物産展へも奥様の久子さんと一緒に出掛けては、実演販売をしたり、自治体に招かれた実技指導なども無償で引き受けています。目の前できれいな花の絵柄や、TVアニメでおなじみのキャラクターの顔が描かれた巻き寿司が出来上がってゆく様子はとても楽しく大好評です。「見た目重視」的な印象の強い花寿司ですが、とんでもない!食べても美味しくなければ、本当の花寿司とはいえません。是非ご賞味あれ。
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[花寿司・祭り寿司 花祭り本舗] TEL 0479-77-2079 山武郡芝山町新井田324

TAIEI花の会会長/有限会社大栄花園会長
 

  高橋さんと私たちとの出会いは30年ほど前、(財)花と緑の農芸財団発足の母体となったメンバーが、成田市や芝山町に花のパイロットファームを作り、試行錯誤を繰り返していた頃にさかのぼります。農場のスタッフ研修として訪ねた花卉栽培の先進農家(有)大栄花園の代表だった高橋さんは、その頃すでに幾つかの優良新種で全国に名を知られる存在でした。生産する花の素晴らしさや、栽培システムに圧倒されましたが、何より高橋さんの花に賭ける熱い情熱に私たちは感銘を受けました。
 高橋照典さんは1947年(昭和22年)9月29日、千葉県香取郡大栄町(現成田市)生まれ。高校卒業後、東京でサラリーマン生活を送っていましたが、サツマイモ農家であった実家が、新たにシクラメン栽培を始めたことと、自身の結婚を機に花卉栽培の道へ踏み出しました。
 決してシクラメン栽培に適した気候条件ではなかった大栄町で、高橋さんは様々な努力を積み重ね環境に合ったオリジナル品種の開発に取り組みました。現在では全国の品評会で農林水産大臣賞を始めとする数々の賞を受賞する【花の匠】として全国に知られるまでになりました。
 一方で高橋さんは、1998年(平成10年)に地域の人々と[TAIEI花の会]を結成して、町の各所での草花の植え込みや管理を行うボランティア活動にも積極的に取り組んでいらっしゃいます。50〜70歳代の主婦を中心とした約50名の会員の皆さんは、道行く人々に花で安らぎを与えながら、自らも楽しんで無理なく、長く続けることをモットーに活動されています。昨年開催された千葉国体でも、当財団と共に[植える花夢フラワー成田]のメンバーとして参加し、競技会場をたくさんの花々で彩り、会期中のメンテナンスに大活躍されました。
 現在高橋さんは、奥様と3人の息子さんとの5人暮らし。会社の代表を後継者である息子さんに譲り、「花を見ると心が和む、人に喜ばれることが嬉しい」と、花の会のボランティア活動と共に、育種や育苗に専念する毎日です。
至高のシクラメンのほか、オリジナルのアジサイやカーネーションなどは、(有)大栄花園が直営する[花工房 四季彩]でも販売されています。
花工房 四季彩
千葉県成田市前林987-1 TEL/FAX.0476-73-6030
http://www.hana-shikisai.net/

環境カウンセラー/環境教育・学習アドバイザー

  風のエルゼ会員として当財団の活動を支援して頂いている平沢信夫さん(環境カウンセラー/環境教育・学習アドバイザー)が、平成23年度の『自然環境功労者環境大臣表彰』を受賞されました。 この賞は、平沢さんの長年尽力されてきた青少年への自然環境学習の啓蒙普及活動が広く認められたものです。
 1934年(昭和9年)1月10日、長野県飯田市に生まれた平沢さんは、山梨大学工学部電気科を卒業後、20年近く大手電機メーカーへ勤務されていました。その後、千葉県立農業大学校(東金市)の風土技術・工学講師に転身、その頃に当財団の故土井脩司前理事長(当時花の企画社社長)と出会いました。お互いの自然や環境に対する考え方に共鳴し意気投合、芝山町の振興や財団発足過程での重要な役割を担って頂きました。
  その後、小・中・高校生に向けた自然環境教育の先達として小山学園長野教育センターに入所、上信越国立公園の飯綱高原を中心に「人は自然の一員」「自然環境学習のねらいは『自然への畏敬』を学ぶ事」という信念に基づいたカリキュラムを作成・推進されてきました。
 1996年に環境カウンセラー、2000年からはこども環境相談員としても活躍、当財団の花の里建設委員会の客員スタッフとして様々な助言・提言も頂戴しました。 現在は千葉県船橋市に在住し、「NPO印旛野菜いかだの会」「北総の森巨樹古木研究会」「海老川調節池を市民と活用する会」「ふなばし自然に親しむ会」などに参加、積極的な活動をされています。
 5月中旬に[花と緑と農芸の里]へ来里、今回の環境大臣賞受賞を土井前理事長の顕彰詩碑に報告されました。

花の会野田 代表
 昭和14年(1939)8月3日生まれの須田さんは今年72歳。千葉県野田市の農家の次男として生まれ、工業高校卒業後に総合部品メーカーにお勤めだった須田さんが、「花の会野田」に入会されたのは定年退職後の平成3年(1991)のこと。
奥様と一緒に度々買い物に立ち寄っていた扇屋ジャスコ(現イオン)ノア店の店頭で行われていた、お花の頒布会に出会い興味を持ったのが始まりでした。
 もともと休日には畑仕事が好きで野菜作りを楽しんでいた須田さんは、さっそく活動に参加。代表を託された今では、会が行っている市内の花壇整備用のお花もご自身が種から育てているそうです。現在では市のみどりの課が推進する「みどりのふるさとづくり実行委員会」の副代表として、市内公共施設への苗木贈呈や、様々なイベントのために忙しい日々を過ごされています。
 毎朝、自宅の庭へ出て花の色や香りを楽しんでいる須田さんは「花を見ていると心が和むし、自分で種をまいて育て
ると愛着もひとしおだ」と語って下さいました。年齢を感じさせない元気パワーで、花の会の皆さんと共に野田の街に、花の輪をもっともっと広げていって下さい。
 
花の会野田主催の園芸教室が開催されました。
2月22日(水)会場は成田天神峰にある花の農場内のガラス温室。午前中に成田山参詣と昼食を終えた花の会野田の会員さん12名に加えて、公募に応じた25名の皆さんが参加されました。農場見学の後、今回の寄せ植えは直径30cmほどのプランターに、プリムラ・ポリアンサス、メラコイデス、デージーの他にポピー、ネモフィラ、アリッサム、ノースポールの中からお好みの2種を選び、合計5株の花でオリジナルの寄せ植え作りを行いました。講師は(農)花の生産舎組合のスタッフの寺本千波さんが務めました。



(公財)花と緑の農芸財団・風会員

 1948年(昭和23年)11月20日、千葉県芝山町の農家(米・野菜・家畜) の長男として生まれた吉川さんは、高校卒業後、地元の丸朝園芸農業協同組合の組合員として米や野菜の生産に従事されました。現在は兼業農家。ふたりのお子様も独立し、愛妻みつ子さんとのふたり暮らし。休日に訪ねてくる5人のお孫さん(すべて男の子! ) と野山を駆ける好々爺ぶりを発揮されています。
 当財団の故土井脩司元理事長とは地域の行事を通して知り合い、意気投合。土井さんが「私の弟分」と呼ぶほどに強い信頼を寄せたおひとりでした。1994年(平成6年) には地元有志らと[山中花の会]を発足させ、地域に花の輪を広げていく活動を開始されました。
 2001年(平成13年)、当財団が環境事業団の助成金で温室を建てた際にも多大なご助力を頂きました。現在温室では水稲の育苗管理をする他、吉川さんが自ら種を蒔き、育てた花がいっぱいです。その花は春夏秋冬、吉川さんが町内の花壇などに植えて管理、散策中に温室で咲いている色とりどりの花に興味を持ち、話し掛けてくる方には無償で差し上げることもあるそうです。
 また、当財団が毎年子供たちと行っている田植え・稲刈り体験の際には、苗床や田んぼの管理をはじめ、全面的なご協力を頂いています。
 体験当日には子供たちのためにザリガニやドジョウを獲って下さったり、自ら育てたお花の苗をプレゼントして頂いたり、[花と緑と農芸の里]の様々な活動に欠くことの出来ない頼りになる地元支援者です。
 吉川さんは「お年寄りと若い人とは花に対する関心の度合いが違うように感じる。昔はどの家でも庭先に四季折々花が咲いていたし、自分たちで種を採り、慈しみ育てていたように思う。」と、ゆとりを失った当節を嘆く一方で、「花をきっかけに沢山の人たちと交流できる機会を増やすために、これからも花を育て続け、花の輪・人の輪(和)を広げていきたい」と語って下さいました。